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むれログ

ブログ論やビジネス、生活に役立ちそうな知識についてまとめています。

工場労働者・ライン作業者が不幸を感じるのは自由を奪われているから

 

自分にとってブログを書くことはとても楽しいことです。なぜ楽しいかと聞かれると、やはり自分の力を自由に使っているからだと思います。これが仕事として人から強制されて書くようになると、楽しさはなくなるかもしれません。その場合、書く内容や字数、働く時間などを自分で決めることができないからです。だから自分の力を自由に使えるブログという環境は、自分にとってうってつけの環境ということです。

現在私は工場のピッキングというバイトをしていますが、そこに自由はありません。始業時間と終業時間だけでなく、休憩時間も会社によって決められていますし、製品も決められた手順で作ることが求められます。一台あたり何分という基準も設けられており、それより遅いと上の人から文句を言われます。

工場での労働は非人間的で、人はロボットのように働くことが求められます。一見すると非情ですが、こうして労働を時間単位で計測して、労働者を効率的に働かせるからこそ、工場は計画的に製品を生産することができるのです。「日本の製品は品質が良い」という意見もよく聞きますが、それもこのルールや時間に対する厳格さがあってこそなのでしょう。

ただ労働者が工場で働いている間はとても大事なあるものを犠牲にする必要があります。それが「自由」です。工場で人を動かして計画的に物を作るには、人をルールで押さえつけなくてはいけません。そうしないと製品の品質がバラバラになったり、納期に遅れたりしてしまいます。

しかし人は自分の好きなように行動ができないと、大きなストレスを感じてしまいます。ヒルティの幸福論に「最初に不幸になった人間は工場労働者」みたいな記述を見つけたことがあります。これも効率化のため労働者が自由を奪われていることが原因なのではないでしょうか。確かに労働を効率化することで社会は物質的な豊かさを手にしましたが、代償として自由を手放してしまったのかもしれません。

もちろん自由を奪われているのは工場労働者だけではありません。事務員や営業の人も皆多かれ少なかれお金と引き換えに自由を手放しています。ただ彼らは仕事のペースや働く時間帯に関してある程度の裁量が認められているので、ほぼほぼ自由を奪われたライン作業などに比べればマシではあると思います。

たまに「ライン作業を続けていると頭がおかしくなる」みたいなことも耳にします。ライン作業では体を機械のように動かさなくてはならず、働いている間は自由を極限まで奪われています。

ここまで自由を奪われると、音楽を脳内再生したり、妄想したり、考え事をしたりして頭を動かしていないと、発狂してしまいます。精神的な牢獄に閉じ込められている感じですね。体験者の自分が言うので間違いありません。言い過ぎかもしれませんが、まともな人間のする仕事ではありません。

ブログを通じて自由に働くことの素晴らしさを伝えるつもりでしたが、話が脱線して自由に働けないことの悲惨さを伝えることになってしまいました。この記事を読んでいる方々がもし転職を考えているのなら、次は「労働の自由度」について考えてみると良いでしょう。ではまた。